世界大会徒然草9301 1992年大会〜アトランタ〜 第一話
9/4(土)
新幹線を使い東京へ、山手線にて日暮里駅下車、京成線にて成田へといういつものコースに、
今年からは成田の一つ手前の第2空港ビル駅下車。をまずは順調に辿った。
順調にという意味は、台風13号の直後というきわどい日程に内心ひやひやしたからで、
この台風には、戦後最大級というタイトルがついて普通ではないという恐怖感が早くからあって、
九州の選手団はどうなのか心配になった。
近畿組も台風通過と出発の時間帯が重なり、前日から行くべきかどうかの判断に苦慮した。
しかし、どだい何も準備のできていない大森などは、何がどうなろうと当日出発とするほかなかった。
この出発日は「東京では私の学校をはじめ、休校する学校も多く、こんなことは初めてで す。(鈴木選手)」
ということでも普通ではなかった。
不思議なこともあるもので、日暮里駅で鈴木さんと偶然お会いした。(AM10:40)
そして、成田第2空港ビルのエスカレーターを上がったところで新居田さんなど近畿組4人と出会う。
台風を懸念し前日から成田に宿泊したとのこと。
同じ飛行機ということもあるが、それにしても2〜3時間前という漠然とした時間帯の中での
出会いはどう考えるのか、世の中には偶然ということはあり得ず必然だという高僧の話しがあった。
その高僧の話しでは自由に相手を呼び出せるという。
もしかしたら、鈴木さんと日暮里で会えるかも知れないという気持ちはあったし、
電話でも冗談をいっていたけれど、そこまでの話しである。
デルタ� ��空DL52便は予定時間を58分遅れて午後 6時22分に離陸した。
8時間余で東京から横に真東に当たるポートランドに到着し入国手続きをする。
入国審査官が丁寧な人たちで米国人以外は2〜8番のゲートをという指定。
待つことしきり。まるで列が進まない。ワールドマスターズの大会にアトランタへ行く。
アトランタで10泊する。その住所はここです。と英文の大会要項を見せる。
この3人が一緒です。といえば、OK。こちらが一方的に喋っただけですんなり通過。
1時間ほどで、同じ飛行機にて離陸。4時間半ほどでアトランタ着。すべて順調で時刻は午後8時丁度に着陸した。
とても午後8時とは思えない明るさである。
アトランタ空港は大きく、新しいシステムを取り入れた空港で、ターミナルへの輸送システムであるライ ナーが素晴らしい。
近畿の4人組は飛行機を乗り継ぎ何処かに出かけるようだった。
荷物を受取り、出口に向かうと
壁際に1993WorldMastersと書いた新聞紙を広げた位の大きさのパネルを両手に掲げた黒人の太った中年男を見つけた。
二言三言、言葉を交わす。いい男らしい。タクシーの運転手だった。
「信用しましょうか?」と振り向くと古賀さん、鈴木さんが「いいですよ!」。
出口の警備員とこの運転手は親しそうに会話を交わした。
コーチと呼ばれる10人乗り位いのミニバスが直ぐ出口に止まっていた。
一列に一人が荷物と一緒にゆったり乗ってコーチは片側6車線の広い道路をひた走った。
人柄がそのまま出ている感じのおとなしい運転だった。デイズ・インに着く前に無線電話で何か話� ��た。
約40分で着いた。45ドルだといった。100 ドルを出し50ドルを取るようにいったら、にっこり笑った。
これからが大変なことになった。
フロントの金髪で高校生のような小柄な女性とやり取りが始まる。予約が入っていないという。
ぼくたちは、英文の申込書を見せた。これが以外にものをいう。
インボイスということになるらしく大会責任者のビル・ニコルソンに電話をいれて連絡を取ろうとしたがビルがいないらしい。
その間も、どんどん車が横付けされて飛び込みの宿泊客が来る。
小柄なフロントがその時だけ作り笑顔で空室がないことを告げる。
黒人の青年が両手を広げ「オー・ガッド」といって肩をすくめ白けて車に戻っていく。
その度に僕たちの手続きは中断する。
ぼくたちは、へぇー、こんなホテルでも満員なんだ。� �かなんとかいいながら事態の好転を待つ。
しかし、一向にらちがあかない。やっと一部屋を確保してくれて、明日改めて部屋を確保する約束でとにかく横になった。
もう12時を過ぎていた。ホテルもホテルの食堂も24時間OK。
それから、朝になって、それぞれが個室に入ったのは正午前だった。
8日間の宿泊で $435.12(1泊 5,500円)を前払いだという。
全員TCを切った。海外に出て最初にTCを発行する時の気分はいつもリッチな気分でいいものである。
ここは、車をすぐ部屋のドアの前に止める方式の米国一円に見られるモーテルである。
インド人の経営でランクは下の下だと見た。これが豊かなアメリカにある宿屋なのかと失望した。
中庭には小さなプールがあってサイドに寝椅子やパラソルがあった。
ドイツの選手たちは喜んで利用しているみたいだった。
しかし、この時はまだ、もっとひどいことになるということは知る由もなかった。
ドイツの消防職員シュッスラーさんとホテルの入口でばったり出会った。
手紙と消防の帽子をありがとう。といって奥さんを紹介した。握手を交わし、無事の再開を喜び 合った。
「いくらからやるの?」というから「105 の140 からスタートするよ。」といったら「それは、強いな。」といった。
一昨年、ドイツで大会があったときにどうしても自分の消防署を見てほしいと
彼の愛車の日本車でアウトバーンを飛ばしマンハイムにある消防署につれて行ってくれて
庁舎から消防機械にいたるまでドイツ語で丁寧に説明してくれた人である。
消防車、救助車、救急車みんなメルセデスで揃っていたのが羨ましく、今も鮮明に記憶している。
9/5(日)
フロントのインド人女性が今日は日曜日でタクシーも休みだという。車のない僕たちは宿舎に缶詰めとなる。
この日は、すぐ隣と国道を挟んで向かい側にあるガソリンスタンドに付設の雑貨屋を覗きに行く、
スーパートラックのいなせな若者の着る刺青模様の黒地のTシ� ��ツ 800円、
飲み物や菓子類、その他日本の価格から見ればかなり安い。
ジョージアはとても厳しいところで日曜日はビールなどアルコール類は買えない。
平日でも夜12時を過ぎると買えない。(お酒類の自動販売機は無い。)というもので、建て前だけでなく、本当に売らなかった。